①茶道具の始まりは?
茶道と共に始まった茶道具の歴史ですが、茶道は中国から伝わったため、初期の茶道具は中国製(唐物)が多く使用されてきました。
茶道が日本の伝統文化として発展すると共に、日本国産の茶道具が作られるようになり、現在までに多くの和物が継承されています。
そんな茶道具の歴史は日本の平安時代末期に始まり、臨済宗の開祖である「栄西」が、
臨済禅と一緒に抹茶法を伝えたことが始まりだったと云われています。
当初は限られた貴族だけが楽しむものでしたが、やがて嗜好品として一般にも広まり、
遊興やコミュニケーションの手段として広く用いられるようになりました。
②織田信長の時代には・・・
織田信長が名を馳せた戦国時代には、戦国大名や戦国武将たちの間で茶道具が大流行しました。
当時、戦に勝った大名や武将に恩賞として与えられる領地や黄金などが物資不足となり、織田信長が代わりに目を付けたのが茶道具でした。
信長は恩賞として茶道具を与えるようになり、やがてそれは信長に認められた証として、武将たちにとって価値の高いものとなります。
また、織田信長を中心に高名な茶道具が大名の元に集められるようになり、
名物の茶道具をいかに集められるかが大名や武将たちのステータスでもありました。
当時、最も有名な茶道具は「天下の三肩衝」と呼ばれる、「楢柴」「初花」「新田」3つの茶入で、
このような名物の茶道具を手にする事が「権力の象徴」とされていた時代でもあります。
そのため、大きな権力を持った武将の中には名物の茶道具を持っている人を殺めてまで、権力の象徴を手に入れようとした者もいます。
それほど、茶道具は武士たちにとって貴重な存在でした。
③千利休の登場で茶道具にも大きな変革が・・・
安土桃山時代には茶聖「千利休」が登場し、茶道具の歴史としては最も大きな転換期を迎えます。
登場と言っても、信長に仕えていた時代から既に茶人として有名だったものの、当時の千利休の立場は天下一ではありませんでした。
天下人として君臨していた信長が「本能寺の変」にて、数々の名物茶道具と一緒に本能寺で没した後、豊臣秀吉が天下統一を果たしますが、
それと同時に千利休も天下一の筆頭茶頭(茶の師匠)となります。
筆頭茶頭となった千利休は創意工夫しながら、茶道の様式のひとつとして非常に有名な「侘び茶」を大成します。
そして、千利休によって茶道具にも大きな変革が訪れることになります。
①でも触れた通り茶道は中国から伝わったため、初期の茶道具は「唐物」が絶対的な価値を有していました。
そんな唐物の茶道具を凌ぐ「和物」茶道具を千利休自らが創意を凝らして作り出し、市場に流通すると大きな価値が付くようになります。
やがてそれは、千利休手製の茶杓にまで及ぶようになりますが、茶道具の歴史としてはこの頃がピークとなります。
これまでに数々の名工によって多種多様な茶道具が作り出され、定評も得ていますが千利休に及ぶものは登場していません。
それほど、この時代に起きた茶道具の変革は大きな出来事でした。
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